心を豊かにする暮らし。

沖縄北部やんばるの森での暮らし。ベジカフェ&ヨガ"TAMAYA"主宰、旅、畑、食事、子育て、ヨガ、アーユルヴェーダ、ベジカフェ、ホームスクーリングなどなど。"もの"から"こころ"へ豊かの視点を変えることで見えてきた、新しくもあり、昔から変わらないオーガニックな暮らしのかたち。小さな暮らしのヒトコマが、私の小さな幸せのヒトコマ。間もなく3児の母。

落合陽一さんの"ミライ育児"「息子は幼稚園に通わせない」その理由

www.google.com

先日
偶然ネットで見つけた
この記事

テレビがなく
ネット環境からも距離のある
田舎暮らしのためもあり

お恥ずかしながら
私はこの方のことを
このとき初めて知りました。

そのあと色々と調べてみると
とても有名な方のようですね。

どなたかのシェアで
タイトルが気になり
読ませていただきました。

落合陽一の#ミライ育児「息子は幼稚園に通わせない」その理由

現在一歳の男の子と
生まれたばかりの女の子の
二児のお父さまでもある落合さんの
これからの育児に必要なこと
「息子を幼稚園に通わせたくないと思っている」
との持論とその理由などを
綴ってあるインタビュー記事でした。

ちょうどまさに
自分と子どもたちが直面している
幼稚園へ"行かない"という選択
www.tamaya-cao.com

それらに重なる部分が
多かったので
また少し考えてさせられるものでした。

別のサイトに記載された
この方の記事のコメントには
賛否両論の声があり

というより
ざっと見てみたところ
"否"の意見が多かったかな。

理由は
"大人の理由で可哀想"だとか

中でも多かったのが
"集団生活に馴染めなく子どもは
小学校や中学校で
その子が苦労をするから可哀想だ"
という意見でした。

私も子どもと
幼稚園へ通わない暮らしを
選択するなかで

身近な人にも
多くあったこの意見。

私自身も正直はじめに
とても気になったポイントでもありました。

でも、最近はまた
私のなかでも
新たに違った考えも生まれてきました。

確かに
幼稚園や学校に身を置いていない子どもたちは
はじめての集団生活の中で
必ず戸惑い、苦労することは
避けられないでしょう。

それは
大人になって
どの世界で生きていくにも同じことが言えます。

はじめて外国へ行けば
育ってきた文化も環境も違い
慣れるまでには
苦労もするし、時間もかかることは
当然のことと思えます。

私たちは常に変化のなかに
生きていて

そのなかで
学び成長を続けていくことが
生きることだからです。

学校に所属しなかった子どもはたちは
どうでしょうか?

きっと、はじめての
集団生活で
戸惑い、苦労することでしょう。

でも、私がもっと恐ろしいと思ったこととは

保育園や幼稚園
生まれて間もない頃から
集団生活の中で
成長していく子どもたちは
やがて中学校、高校、大学と進学をして
そのまま会社というまた
大きな集団生活の中に流れていくことでしょう。

流れに入って
みなと同じに流れているときは
それは
とても楽で心地が良いものかも知れません。

しかし仮に
集団生活の中で成長してきた人間が
社会や学校から
何かの理由で
弾き出されてしまったとき

立ち上がることのできないほどの
大きなショックとなるのではないでしょうか?

病気になることや
生きていくことが辛いと感じるほど
大きなダメージを受けるかも知れません。

パーソナリティーを確立した人が
集団生活へ入ることよりも

集団生活が刷り込まれ
みな同じに成長してきた人間が

集団から弾きだされ
個になったときの方が
恐ろしいことのように思えてなりません。

また私も経験があるのですが
"自分を表現する機会"を迫られるとき

自分の意見を表現すること
個性を出すことを押さえられてきた人たちは
とても苦労をすることになるのではないでしょうか?

学校へ通わないから
個性やアイデンティティーを確立できて

学校へ通っているから
そういったものが形成されない。

という話ではありません。

でも、大きな流れとして
少なからずにこのことは
今の教育と社会のなかで
生まれている事実だと私は感じています。

私自身も
一般的な家庭で過ごしてきたので

幼稚園、小学校、中学校、高校
そして大学まで通わせてもらい
そこで得た経験や想い出も
ありがたかったと感謝もしています。

しかし、やはり
人前に出ることは極度に苦手だったし
自分の思ったことを口に出すこと
表現することも得意ではなかった。

将来の夢も
明確にイメージできなかったし、

皆で揃った制服も
皆で同じに過ごす時間も
違和感を感じながら
それが"普通"なのだ、と思い込んできました。

テスト前には
泣きそうになりながら
徹夜をして暗記した数式や記号は
今は全く覚えていないし、
何かの役にたったとは思えない。

だから私は
恐ろしいほどに集団生活に慣れすぎてしまって
大人になって
"何かがおかしい"と思ったときには
すでに遅く

自分自身を肯定することも
個性を育てることも
後から自分で作り上げていく作業となり
とても苦労をしました。

それは、今現在になっても
続いています。

今となっては
ほとんど小さくなったものの

人と何か違うことをすることには躊躇うことも
一人でいるより
集団でいることに気楽さを感じることも
まだまだ心の奥には
残っているようにも感じます。

わが家でも
子どもたちは幼稚園へは通っていません。
www.tamaya-cao.com

とにかく
自分のやりたいことを
思う存分やる

自分が何をしたいのか
自分の中にある気持ちを
自分自身でしっかりと見つけて
それを表現し、行動すること

そして、その気持ちを
可能な限りに受け止め
カタチにするために
手助けが必要であれば手を貸し
それ以外は
とにかく見守ることを実践しています。

子どもたちは
自分の興味のあることへ
自然に向かっていき、

興味は
行動の原動力になり

それは
学びへの道なのだと思う。

学びとは本来
自発的に起きるものであり

その自発的に起きたものを
大人は感じ取って
お手伝いするくらいでいいのだと思います。

そうして
自分のやりたいこと
やりたい道をすすんでいける強さを
養っていくことが
これから子育てには
必要なのかも知れないと
なんとなく考えるようになりました。

あとわが家の場合には
畑やもの作りなど
物やお金に縛られなくとも
どこでも生きていける
"生きる強さ"のようなものを
養ってほしいかなぁ、と思っています。

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落合さんの言葉は
ストレートで曲がっていないので
受け取り手によっては
刺さるような言葉なのかも知れませんね。

だけど、私は
とても共感できる部分も多くあって
この方にとても興味がでてきました(笑)

近々、こちらの本も気になったので
読んでみたいと思います。


0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書

落合陽一さん
素敵なお話しをありがとうございました。